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なぜか姫路・岡山
本日は、いろいろな話の流れで姫路・岡山に行くことになりましたのでその旅を報告したいと思います。
ということで、珍しく今回は憎き新幹線に乗車することになりましたのでかなりスマートな旅となりました。
ということでまずは1日1本の始発ひかり広島行に乗車しまして一路姫路まで向かいます。
流石はひかり号ですね。西明石までのぞみに抜かれることもなく快調に飛ばしますね。そして姫路には8:56着という速さ。普段は新幹線を使わないのでこの速さには驚きを隠せませんね。ただ、これは敵ですがね。
さて、朝早くに姫路に来た訳は書写山に行くためです。


書写山とは姫路城の西北に位置する山でこの山上に円教寺があります。西の延暦寺といわれるほど素晴らしい寺院です。ちなみに神姫バスで約30分。ロープウェイで4分で山頂付近までたどり着けます。ロープウェイ降り場から約20分の登山でたどり着きます。セット券で1300円で入山料500円となります。ちなみにさらに500円を支払うと近くまでマイクロバスの送迎(往復)が受けられます。
それでは円教寺を歩きましょう。
まずは

慈悲の鐘です。ここから始まります。
暫くは、西国三十三観音道を通るここには西国三十三所の観音菩薩像が安置されているので既に荘厳な空気感に包まれる。

そしてしばらく歩くと姫路市内を見渡せる場所があり、横目で見つつ先を急ぐ
そのまま歩くと現れるのが

仁王門。ここから先が円教寺の聖域となり、玄関口となります。ちなみに仁王像もいます。
仁王門から暫く歩くとそこにはこの円教寺の摩尼殿(まにでん)が現れます。





この摩尼殿は清水寺の舞台と同じ懸(かけ)造りの構造になっております。下から見上げるこの角度は最高ものですね。この円教寺は秋の紅葉の季節がもっとも美しい季節といわれているが、この新緑の中で見るのも中々良いものですね。
摩尼殿にて参拝した後に次なる場所へと向かう。

摩尼殿の裏をさらに歩くと
円教寺のメインというべき場所へとたどり着く。






コの字型に配置された右側の建物は大講堂でお経の講義や論議が行われる学問と修行の場所であり、正面は食堂(じきどう)で、修行僧の寝食のための建物。そして左側は常行堂(じょうぎょうどう)である。そしてここには本多家廟屋がある。姫路城の城主である本多家の墓があるもの納得の場所ですね。
そして、次は最後の


奥の院。開山堂は圓教寺開山の性空上人を祀っている。
ここまで来たら十地坊へ

ここは黒田官兵衛が赤松氏の居城・置塩城を見渡せる場所で軍議を開いたといわれている場所です。この場所の浦は現在貯水槽があるので歴史ロマンのひと欠片もないのですが、ここからの眺めは変わっていないと思われるので、往時をしのぶことが出来ます。

そして再び摩尼殿まで戻って来ると、草むらからガサガサという音とともに

野生の鹿が現れました。まだ、小鹿でしたね。
そして下山します。
姫路まで来たので姫路城を一応見ることにします。しかし、時間の都合上で姫路城内へは入らずに姫路城の周りを一周ぐるりと回ります。






姫路城天守の手前の一渡櫓・リの二渡櫓が保存修復工事を行っているため、見栄えが悪いですね。まあ、貴重な文化財ですから痛みが進む前に直すことは重要ですが、ちょっとガッカリですね。
これにて姫路を後にして、岡山に向かいます。


新幹線に乗車すればわずか30分(こだまでも)の道のりですが、普通列車での移動となりましたので相生まで行きまして、乗り換えまして、岡山方面に乗り換えです。この相生越えもなかなかのハードな区間です。やはり田舎の県境は接続があまりよろしくねいですね。
相生駅にて約30分の待ち合わせで岡山に到着したのが16:31着でした。いやー遠いですな。
そして本日の宿に荷物を置いて岡山城と後楽園を見に行くことにする。ちなみに西手櫓は現存する櫓ですね。
通常はPM5時で閉館してしまうのですが、年2回だけ夜間公開を行っているが、今回はこのタイミングで見ることが出来た。



岡山城と後楽園。やはり岡山城は遠くから見るのが良いですね。ちなみに岡山城の見るべきところは唯一残った
ということで、岡山に来ている知人と合流して(当日電話してすぐに合流できるフットワークの軽さが最高ですね。)岡山の地元居酒屋にて酒盛りを行いまして、本日を終わりにする。
翌日に続く。
ということで、珍しく今回は
ということでまずは1日1本の始発ひかり広島行に乗車しまして一路姫路まで向かいます。
流石はひかり号ですね。西明石までのぞみに抜かれることもなく快調に飛ばしますね。そして姫路には8:56着という速さ。普段は新幹線を使わないのでこの速さには驚きを隠せませんね。ただ、これは敵ですがね。
さて、朝早くに姫路に来た訳は書写山に行くためです。






書写山とは姫路城の西北に位置する山でこの山上に円教寺があります。西の延暦寺といわれるほど素晴らしい寺院です。ちなみに神姫バスで約30分。ロープウェイで4分で山頂付近までたどり着けます。ロープウェイ降り場から約20分の登山でたどり着きます。セット券で1300円で入山料500円となります。ちなみにさらに500円を支払うと近くまでマイクロバスの送迎(往復)が受けられます。
それでは円教寺を歩きましょう。
まずは



慈悲の鐘です。ここから始まります。
暫くは、西国三十三観音道を通るここには西国三十三所の観音菩薩像が安置されているので既に荘厳な空気感に包まれる。

そしてしばらく歩くと姫路市内を見渡せる場所があり、横目で見つつ先を急ぐ
そのまま歩くと現れるのが


仁王門。ここから先が円教寺の聖域となり、玄関口となります。ちなみに仁王像もいます。
仁王門から暫く歩くとそこにはこの円教寺の摩尼殿(まにでん)が現れます。














この摩尼殿は清水寺の舞台と同じ懸(かけ)造りの構造になっております。下から見上げるこの角度は最高ものですね。この円教寺は秋の紅葉の季節がもっとも美しい季節といわれているが、この新緑の中で見るのも中々良いものですね。
摩尼殿にて参拝した後に次なる場所へと向かう。



摩尼殿の裏をさらに歩くと
円教寺のメインというべき場所へとたどり着く。

















コの字型に配置された右側の建物は大講堂でお経の講義や論議が行われる学問と修行の場所であり、正面は食堂(じきどう)で、修行僧の寝食のための建物。そして左側は常行堂(じょうぎょうどう)である。そしてここには本多家廟屋がある。姫路城の城主である本多家の墓があるもの納得の場所ですね。
そして、次は最後の






奥の院。開山堂は圓教寺開山の性空上人を祀っている。
ここまで来たら十地坊へ

ここは黒田官兵衛が赤松氏の居城・置塩城を見渡せる場所で軍議を開いたといわれている場所です。この場所の浦は現在貯水槽があるので歴史ロマンのひと欠片もないのですが、ここからの眺めは変わっていないと思われるので、往時をしのぶことが出来ます。

そして再び摩尼殿まで戻って来ると、草むらからガサガサという音とともに

野生の鹿が現れました。まだ、小鹿でしたね。
そして下山します。
姫路まで来たので姫路城を一応見ることにします。しかし、時間の都合上で姫路城内へは入らずに姫路城の周りを一周ぐるりと回ります。
















姫路城天守の手前の一渡櫓・リの二渡櫓が保存修復工事を行っているため、見栄えが悪いですね。まあ、貴重な文化財ですから痛みが進む前に直すことは重要ですが、ちょっとガッカリですね。
これにて姫路を後にして、岡山に向かいます。





新幹線に乗車すればわずか30分(こだまでも)の道のりですが、普通列車での移動となりましたので相生まで行きまして、乗り換えまして、岡山方面に乗り換えです。この相生越えもなかなかのハードな区間です。やはり田舎の県境は接続があまりよろしくねいですね。
相生駅にて約30分の待ち合わせで岡山に到着したのが16:31着でした。いやー遠いですな。
そして本日の宿に荷物を置いて岡山城と後楽園を見に行くことにする。ちなみに西手櫓は現存する櫓ですね。
通常はPM5時で閉館してしまうのですが、年2回だけ夜間公開を行っているが、今回はこのタイミングで見ることが出来た。









岡山城と後楽園。やはり岡山城は遠くから見るのが良いですね。ちなみに岡山城の見るべきところは唯一残った
ということで、岡山に来ている知人と合流して(当日電話してすぐに合流できるフットワークの軽さが最高ですね。)岡山の地元居酒屋にて酒盛りを行いまして、本日を終わりにする。
翌日に続く。
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花の名 それは はまなす 永遠に
今年もこの季節ですな
けどこれまで以上に全く何もせずにこの日を迎えてしまいました。
というわけで新しい画がありませんし、あまり情報も得ていないので簡単に行きましょう。
今回の目玉はまぁー北海道新幹線の部分開業でしょうね。新青森から新函館北斗までの延伸ですね。これに関しては写真が全くありませんのでこれまでですね。
そして北海道新幹線の開業に伴い3/22~25までの期間が津軽海峡線を通るすべての列車が運休となる影響で北海道⇔本州を行き来する列車の最終運転は3/21となったわけです。その列車は
寝台特急カシオペア(上野⇔札幌)

臨時列車扱いではあるがE26系客車を使用した最後の寝台特急であったのですがそれも過去帳入りしました。これからはクルーズ列車として運転されるようですが、もうそれは庶民が少し頑張れば乗れるそれではなくなってしましますね。これで寝台特急という部類で最後まで残ったのは「東京⇔出雲市・高松」のサンライズ出雲・瀬戸となりました。夜行列車という大きな分類にしたとしても片手で数えられるほどしか残っていない状況になりました。
急行はまなす(青森⇔札幌)

14系客車をベースに24系も入った混合編成(寝台・カーペット・ドリーム・指定・自由)を持ちさらにはJR最後の急行であり最後のブルートレインでもあった。この列車の消滅によりJRから色々なものが消滅してしまった。
スーパー白鳥・白鳥(新青森⇔函館)

789系・785系・485系の各列車が青函トンネルを通り本州と北海道の輸送を担っていたがそれも今までの話になりました。これからは新幹線の役目です。789と785系は札幌地区へと転属となりまたその活躍を見せてくれるようですが485系は青函運用をもって定期特急運転から退くことになった。
EH500(青森信⇔五稜郭)

最長で新鶴見から五稜郭までの間を牽引していた貨物列車ですが、これからは青函トンネルが昇圧してしまったので通過不能になり青森信号所までの運転となりそこからはEH800が引き継ぎ五稜郭を目指すということになります。
ED79(青森⇔函館)

ED79もついにお役御免になりました。青函トンネル開業とともに歩んできたのですが、青函トンネル本来の姿となってしまった今を待ち受けていたのは廃車という残念な結末でした。海底トンネルという過酷な場所で活躍していた機関車は痛々しくもあり頼もしい姿でした。
DD51(函館⇔札幌の北海道地区運用)

ついにあのDD51天国とまで言われていた北海道から定期で見ることが出来るDD51が居なくなりました。先にJR貨物のDD51が姿を消してからJR北海道が運転しているのが最後でしたがそれも「カシオペア」「はなます」廃止では牽くものもなくなってしまい役目を奪われて姿を消してしまいました。これでDD51が最後まで残ったのがJR貨物の中京地区となりました。
とまあこのようなラインナップが一気に終わりを告げましたね。(以上の画像は過去撮影分からです)
まあ、このほかにも色々なことがあるのでしょうがアンテナが全く立っていなのでこのくらいしかキャッチできていません。凄く薄い内容ではありますが、これにて今年のダイヤ改正でした。
けどこれまで以上に全く何もせずにこの日を迎えてしまいました。
というわけで新しい画がありませんし、あまり情報も得ていないので簡単に行きましょう。
今回の目玉はまぁー北海道新幹線の部分開業でしょうね。新青森から新函館北斗までの延伸ですね。これに関しては写真が全くありませんのでこれまでですね。
そして北海道新幹線の開業に伴い3/22~25までの期間が津軽海峡線を通るすべての列車が運休となる影響で北海道⇔本州を行き来する列車の最終運転は3/21となったわけです。その列車は
寝台特急カシオペア(上野⇔札幌)



臨時列車扱いではあるがE26系客車を使用した最後の寝台特急であったのですがそれも過去帳入りしました。これからはクルーズ列車として運転されるようですが、もうそれは庶民が少し頑張れば乗れるそれではなくなってしましますね。これで寝台特急という部類で最後まで残ったのは「東京⇔出雲市・高松」のサンライズ出雲・瀬戸となりました。夜行列車という大きな分類にしたとしても片手で数えられるほどしか残っていない状況になりました。
急行はまなす(青森⇔札幌)


14系客車をベースに24系も入った混合編成(寝台・カーペット・ドリーム・指定・自由)を持ちさらにはJR最後の急行であり最後のブルートレインでもあった。この列車の消滅によりJRから色々なものが消滅してしまった。
スーパー白鳥・白鳥(新青森⇔函館)


789系・785系・485系の各列車が青函トンネルを通り本州と北海道の輸送を担っていたがそれも今までの話になりました。これからは新幹線の役目です。789と785系は札幌地区へと転属となりまたその活躍を見せてくれるようですが485系は青函運用をもって定期特急運転から退くことになった。
EH500(青森信⇔五稜郭)


最長で新鶴見から五稜郭までの間を牽引していた貨物列車ですが、これからは青函トンネルが昇圧してしまったので通過不能になり青森信号所までの運転となりそこからはEH800が引き継ぎ五稜郭を目指すということになります。
ED79(青森⇔函館)



ED79もついにお役御免になりました。青函トンネル開業とともに歩んできたのですが、青函トンネル本来の姿となってしまった今を待ち受けていたのは廃車という残念な結末でした。海底トンネルという過酷な場所で活躍していた機関車は痛々しくもあり頼もしい姿でした。
DD51(函館⇔札幌の北海道地区運用)

ついにあのDD51天国とまで言われていた北海道から定期で見ることが出来るDD51が居なくなりました。先にJR貨物のDD51が姿を消してからJR北海道が運転しているのが最後でしたがそれも「カシオペア」「はなます」廃止では牽くものもなくなってしまい役目を奪われて姿を消してしまいました。これでDD51が最後まで残ったのがJR貨物の中京地区となりました。
とまあこのようなラインナップが一気に終わりを告げましたね。(以上の画像は過去撮影分からです)
まあ、このほかにも色々なことがあるのでしょうがアンテナが全く立っていなのでこのくらいしかキャッチできていません。凄く薄い内容ではありますが、これにて今年のダイヤ改正でした。
秋、イベント、尾久にて 2015
本日は、今年3ヶ所目のイベント参戦としまして恒例の尾久公開へ行ってきました。しかし、今年は北斗星の廃止後ということもあり、展示がどうなるかが判らない所でしたが、寝台特急が最後となる年ですので向かいました。
早速イベント会場へ向かうが、今回はあまり時間がない上にあいにくの天候なので超短時間滞在となりましたので駆け足です。
さて、今年の並び展示機関車からいきます







EF510-509北斗星&カシオペア・DD51-842エルム&北斗星・EF65-501富士&さくら・EF65-1118はやぶさ&あさかぜのマークでした。ちなみにこのイベント会場で展示されていましたがEF65-1118はつい最近故障していたらしく、そのまま廃車になるのではないかという話もチラホラ聞こえてきましたが・・・そうなってしまったらこのイベントが最後の晴れ舞台ということでしょうか・・・


そして尾久ということで24系も居るのですが・・・北斗星廃止後から長野へと廃車が始まっていたので既に残る車体も廃車になってしまうのかどうかは判りませんが、この先ですべてを保存しておくという事はないと思うのでこれらも最後の晴れ舞台となるでしょう。
そして尾久では転車台にも機関車が乗るのですが、今年は


EF81-81でした。高崎にもいましたが、こちらでは1エンドに日章旗で高崎と同じでしたが・・・2エンド側にゆうづるマークがつきましてこれが良かったですね。
さて、これにて「第15回ふれあい鉄道フェスティバル」の会場を後にしまして、両毛線からわたらせ渓谷鉄道に乗車するために移動を開始しました。
ということで小山駅から乗車したのは

両毛線の115系湘南色。素晴らしすぎる。久しぶりに115系乗車となったのでやはりモハの乗車となりました。そして桐生にて渡らせ渓谷鉄道へと乗り換える。


とまあ、こんな感じで終わります。わたらせ渓谷鉄道のネタは割愛です。
また、なにかあったら報告します。
早速イベント会場へ向かうが、今回はあまり時間がない上にあいにくの天候なので超短時間滞在となりましたので駆け足です。
さて、今年の並び展示機関車からいきます



















EF510-509北斗星&カシオペア・DD51-842エルム&北斗星・EF65-501富士&さくら・EF65-1118はやぶさ&あさかぜのマークでした。ちなみにこのイベント会場で展示されていましたがEF65-1118はつい最近故障していたらしく、そのまま廃車になるのではないかという話もチラホラ聞こえてきましたが・・・そうなってしまったらこのイベントが最後の晴れ舞台ということでしょうか・・・






そして尾久ということで24系も居るのですが・・・北斗星廃止後から長野へと廃車が始まっていたので既に残る車体も廃車になってしまうのかどうかは判りませんが、この先ですべてを保存しておくという事はないと思うのでこれらも最後の晴れ舞台となるでしょう。
そして尾久では転車台にも機関車が乗るのですが、今年は






EF81-81でした。高崎にもいましたが、こちらでは1エンドに日章旗で高崎と同じでしたが・・・2エンド側にゆうづるマークがつきましてこれが良かったですね。
さて、これにて「第15回ふれあい鉄道フェスティバル」の会場を後にしまして、両毛線からわたらせ渓谷鉄道に乗車するために移動を開始しました。
ということで小山駅から乗車したのは



両毛線の115系湘南色。素晴らしすぎる。久しぶりに115系乗車となったのでやはりモハの乗車となりました。そして桐生にて渡らせ渓谷鉄道へと乗り換える。






とまあ、こんな感じで終わります。わたらせ渓谷鉄道のネタは割愛です。
また、なにかあったら報告します。
秋、イベント、高崎にて 2015
本日は、毎年この時期に行われている「高崎鉄道ふれあいデー2015」が開催されましたので参戦してきました。
この高崎のイベントは毎年行われているのですが・・・なかなか自分の日程と会うことが無く行けないイベントとして自分の中で定着していたのですが、今年は奇跡的に行くことが出来たのでその報告です。
ということで、早速ですが


高崎といえばJR東日本のSL動態保存の中心地ですので、まずはD51-498のお出迎えです。前年ぐらいにはC61との並びで展示されたようですが・・・今年はD51のみでした。このD51はみなかみ号で撮影して以来ですのでかれこれ6年ぶりでした。しかし、生きているSLを線路レベルから近くで見ることの出来る機会はまずないことなのですごいですね高崎は。そして高崎といえば電気機関車も見逃せませんで・・・



今年のラインナップはEF64-1052・EF65-501・EF64-1001・EF81-81・DD51-842でしたね。さすがの釜たちです。このすべてをJR東日本が所有しているというのも凄いし偉いです。しかし、圧巻でしたな。午前中は曇り空でしたのでちょっとイマイチでしたが、午後は晴れたようなのでその光景を見れた方が羨まし限りです。しかし、このDD51とEF81は菊花紋章がないだけでほぼ完璧なお召仕様での展示にも感謝ですね。


他には12系客車やマルタイ・スハフ42・上信電鉄デキなどを撮影しまして、休憩車両となっていた12系客車にてお昼御飯としまして記念弁当を戴きまして、高崎のイベントを後にしました。
そして向かうは






ここは柴又です。そうです私の第二の故郷と申しますのは東京は葛飾柴又でございます。ということで久しぶりにやってきました。まあ、リニューアルしてから来てなかったので再訪したのですが・・・やはり良いですな。すっと居られます。そして向かいには山田洋次ミュージアムも出来ていましたので合わせて訪問です。

そして夜の帳が下りそうになる直前で帝釈天にてお参りしまして、向かった先は
上野駅13番線。

まあ、この時間に来ても何もないのですが・・・この伝統のホームに唯一残った札を確認しにやってきました。カシオペア。この札が下りる日もすぐそこまで来ていますね。しかし、まだまだ13番線には北斗星を見ることが出来ます。
そして本日ラストは東京駅にて仙台名物を戴くことにした。

ということで本日の晩御飯は利久の牛タンです。これを戴きまして終わります。
また、何かあったら報告します。
この高崎のイベントは毎年行われているのですが・・・なかなか自分の日程と会うことが無く行けないイベントとして自分の中で定着していたのですが、今年は奇跡的に行くことが出来たのでその報告です。
ということで、早速ですが




高崎といえばJR東日本のSL動態保存の中心地ですので、まずはD51-498のお出迎えです。前年ぐらいにはC61との並びで展示されたようですが・・・今年はD51のみでした。このD51はみなかみ号で撮影して以来ですのでかれこれ6年ぶりでした。しかし、生きているSLを線路レベルから近くで見ることの出来る機会はまずないことなのですごいですね高崎は。そして高崎といえば電気機関車も見逃せませんで・・・







今年のラインナップはEF64-1052・EF65-501・EF64-1001・EF81-81・DD51-842でしたね。さすがの釜たちです。このすべてをJR東日本が所有しているというのも凄いし偉いです。しかし、圧巻でしたな。午前中は曇り空でしたのでちょっとイマイチでしたが、午後は晴れたようなのでその光景を見れた方が羨まし限りです。しかし、このDD51とEF81は菊花紋章がないだけでほぼ完璧なお召仕様での展示にも感謝ですね。






他には12系客車やマルタイ・スハフ42・上信電鉄デキなどを撮影しまして、休憩車両となっていた12系客車にてお昼御飯としまして記念弁当を戴きまして、高崎のイベントを後にしました。
そして向かうは


















ここは柴又です。そうです私の第二の故郷と申しますのは東京は葛飾柴又でございます。ということで久しぶりにやってきました。まあ、リニューアルしてから来てなかったので再訪したのですが・・・やはり良いですな。すっと居られます。そして向かいには山田洋次ミュージアムも出来ていましたので合わせて訪問です。


そして夜の帳が下りそうになる直前で帝釈天にてお参りしまして、向かった先は
上野駅13番線。


まあ、この時間に来ても何もないのですが・・・この伝統のホームに唯一残った札を確認しにやってきました。カシオペア。この札が下りる日もすぐそこまで来ていますね。しかし、まだまだ13番線には北斗星を見ることが出来ます。
そして本日ラストは東京駅にて仙台名物を戴くことにした。

ということで本日の晩御飯は利久の牛タンです。これを戴きまして終わります。
また、何かあったら報告します。
秋、イベント、広島にて 2015
今年も、恒例の広島イベントへと行ってきました。
ということで今年はPM9:30頃に出発しまして、広島にはAM6:00頃に到着いたしまして、今年の広島旅行が始まりました。

まずは時間が早いので観光をすることにする。

ということで広電に乗車しまして日本三景である安芸の宮島へ





宮島の厳島神社を見学。朝の早い時間であるのでゆったり見学できるかなと思っていたのですが・・・修学旅行か遠足なのか判らないが学生の多いこと・・・。まさかの土曜日に学生の集団に会うとは思いもしませんでした。そして本来も目的地とは違うので宮島は約1時間ほどの超短時間で後にする。

そしてフェリーにて本土に戻りまして駅前の名店へと向かう。

宮島(広島)といえばあなご飯ですよ。そしてここには最高のあなご飯があります。そうです「うえの」です。まあ、本日はちょっと時間が早かったのでまだ店内では戴くことが出来なかったので、お弁当という形での購入。まあ、駅弁としても発売されているものですのでその辺は完璧なものが戴けます。


そして広島市内に戻りまして、まだ時間が早いので広島で押さえておかなければいけないのは広島城ですよね。
ということで広島には何度も来ているのに初登城となった広島城。


1945年8月6日AM8時14分まで当時の姿そのままで建っていた天守も原子爆弾の衝撃波で低層階が壊れ、その後上層部分が崩れ落ちたようである。そんなこんなで広島城を見学し終えた後で本日のメインイベントであるイベントへと向かいました。
メインイベントの









第22回JR貨物フェスティバル 広島車両所公開。今年のメインはEF67-1・102号機の並びでした。そしてその隣にはEF66-24号機が展示されるという嬉しい展示方法でした。そして久しぶりに出てきたのはEF500-901号機でした。ここ最近はEF66-1号機が出る機会が多くこいつが出て来ることはあまりありませんでしたので新鮮でしたが・・・せっかくなので引っ張り出してほしかったですね。
そして広島公開ではお決まりのEF59-21号機やDE10・DD51など様々な素晴らしい釜を展示してくれました。今年も素晴らしい展示をありがとうございました。また、来年機会があったら伺いたいと思います。
そして、広島イベントを終えた後にはここへ向かいます。
毎回恒例になっている竹原訪問。



今年は、憧憬の路の1週間前でしたので混雑は無くいい感じの風景を見ることが出来た。

そして最後に「ほり川」にてお好み焼きを戴きまして、今回の広島イベントを終える。ここから帰宅し翌日の1時すぎに到着することになりました。
ということでまた、なにかあったら報告します。
ということで今年はPM9:30頃に出発しまして、広島にはAM6:00頃に到着いたしまして、今年の広島旅行が始まりました。


まずは時間が早いので観光をすることにする。



ということで広電に乗車しまして日本三景である安芸の宮島へ













宮島の厳島神社を見学。朝の早い時間であるのでゆったり見学できるかなと思っていたのですが・・・修学旅行か遠足なのか判らないが学生の多いこと・・・。まさかの土曜日に学生の集団に会うとは思いもしませんでした。そして本来も目的地とは違うので宮島は約1時間ほどの超短時間で後にする。

そしてフェリーにて本土に戻りまして駅前の名店へと向かう。




宮島(広島)といえばあなご飯ですよ。そしてここには最高のあなご飯があります。そうです「うえの」です。まあ、本日はちょっと時間が早かったのでまだ店内では戴くことが出来なかったので、お弁当という形での購入。まあ、駅弁としても発売されているものですのでその辺は完璧なものが戴けます。





そして広島市内に戻りまして、まだ時間が早いので広島で押さえておかなければいけないのは広島城ですよね。
ということで広島には何度も来ているのに初登城となった広島城。






1945年8月6日AM8時14分まで当時の姿そのままで建っていた天守も原子爆弾の衝撃波で低層階が壊れ、その後上層部分が崩れ落ちたようである。そんなこんなで広島城を見学し終えた後で本日のメインイベントであるイベントへと向かいました。
メインイベントの



























第22回JR貨物フェスティバル 広島車両所公開。今年のメインはEF67-1・102号機の並びでした。そしてその隣にはEF66-24号機が展示されるという嬉しい展示方法でした。そして久しぶりに出てきたのはEF500-901号機でした。ここ最近はEF66-1号機が出る機会が多くこいつが出て来ることはあまりありませんでしたので新鮮でしたが・・・せっかくなので引っ張り出してほしかったですね。
そして広島公開ではお決まりのEF59-21号機やDE10・DD51など様々な素晴らしい釜を展示してくれました。今年も素晴らしい展示をありがとうございました。また、来年機会があったら伺いたいと思います。
そして、広島イベントを終えた後にはここへ向かいます。
毎回恒例になっている竹原訪問。









今年は、憧憬の路の1週間前でしたので混雑は無くいい感じの風景を見ることが出来た。



そして最後に「ほり川」にてお好み焼きを戴きまして、今回の広島イベントを終える。ここから帰宅し翌日の1時すぎに到着することになりました。
ということでまた、なにかあったら報告します。